しゃちくのあんどぅがしょうぶをしかけてきた!

ブラック勤務歴3年の20代が日々のニュース・趣味を呟く雑記

ブラック企業に勤めた新卒3年目が入社一カ月で転職を考えた話

こんにちは。

入社一カ月目があまりにも辛すぎて正常な思考が出来ず転職よりも自殺を考えていたあんどぅです。

 

さて、今回は僕が一番辛かった入社一カ月目の実体験を話して行きたいと思います。

 

面談なんて無かった

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当時勤めていた会社では、年に2回の社長面談と1回の部長面談がありました。

 

ですが実質社長面談の方は面談と言う名の社長のワンマンショーです。

 

入社したての頃僕は何も知らないまま先輩に

「社長面談って何を話せばいいですかね?」

と訪ね、その時に先輩が含みを持たせて笑いながら

「思った事をそのまま話せばいいよ!」

と言われその後先輩を恨むことになりました。

 

当時の一回目の面談はよく覚えています。

 

一番若手だった先輩がトイレでゲロを吐きながら倒れ、他の先輩も情緒不安定。

 

電話が鳴るたびにビクビクし、全員睡眠不足でいつ倒れてもおかしくない地獄をどうにか改善して欲しいと社長の前で土下座に近い形で必死の懇願をしました。

 

そうした所「経営者に丸投げするんじゃなくて自分で考えて提案しろ」と言われ、「無いからこんな状況なんだよ・・・」と思いつつも、その場は引き下がりました。

 

ですが・・・

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何故か次の日に朝礼で晒し者にされました。

 

そしてその朝礼で何故か僕が「自分で考えていいんですね!」とポジティブに捉え、これから自分で考えて会社を作っていける事に希望を抱き皆もこんな風に頑張ってくれ!とありがたい紹介のされ方をしました。

 

その時にこの人には何を言っても無駄だな・・・と感じ先輩の諦めたような笑いの意味が分かりました。

 

先輩が泣き出す

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出勤初日に各自挨拶を終えて仕事を覚えるために、一人の先輩が自分の教育係に任命されました。

 

その人は一番若手の先輩で経験を積むと言う意味合いで教育係に任命されたのでしょう。

 

ですが明らかにその先輩の顔色は土色で、僕の教育とありえないぐらいの量の通常業務の板挟みに合い、ある日突然泣き出しました。

 

僕はあまりの突然の出来事でどうすればいいのか分かりませんでしたが、とりあえず仕事はそのまま残してその日は家に帰しました。

 

そして1週間程経ったお昼休み中・・・

 

今度は倒れました。

 

漫画やアニメでしか人が倒れる所を見たことが無かった僕ですが、あまりの事態に気が動転して放心状態になりましたが・・・とりあえず外回りに出ていた別の先輩を呼び戻し家族に電話を入れました。

 

そうしてその日はなんとか先輩を無事家に帰す事が出来たのですが・・・

 

次の日、またお昼に倒れました。

 

それから何日も何日も壊れた機械を無理矢理動かすように先輩は、出社しては倒れ・・・出社しては倒れ・・・を繰り返していました。

 

その時僕は初めて「使い捨てにされる人材」の本当の意味を理解しました。文字通り使い捨てなんです。

 

次の日も・・・また次の日もその先輩はお昼に倒れ休憩時にはトイレに駆け込み嗚咽とゲロが混じった音が聞こえてきました。別の先輩は家族に死にたい。死にたい。と電話で話している声も聞いたそうです。

 

その人がトイレに駆け込み日々顔色が悪くなって行く姿が自然と自分の姿と重なり、数年後の様子が容易に想像できました。

 

そしてある日その先輩は完全に消えました・・・休職です。

 

休職期間中、先輩と電話で一度だけ話しました。

会社への恨みしか無いとの事、そして倒れた自分の事をダメな人間だと認識していました。

僕は会社のせいで体を壊され、自分を劣等感で責める様に先輩がなってしまって悔しくて悔しくて、感情の行き場がありませんでした。

それから1カ月後、その先輩の休職が解けると同時に退職が決まり無事退職まで生き残る事が出来ました。

正直先輩の退職が決まった時に自分の負担が増える事を危惧しつつ、内心どこかホッとしました。

 

 自分が突然泣き出す 

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 当時長時間残業が常習化している時期で、「日付が変わる前に帰れたら早いね」と皆で喜んでいた頃です。

 

先輩が一人休職した事により本部から臨時で人が送られてきて少し道筋が立った所でした。

 

臨時の方はとても優秀で僕の仕事も見てくれて、暗い職場の中でも光のような方でした。

 

その先輩は仕事に対する考え方に芯を持っており、「100%を目指さなくてもいい。納期に追われるのは仕方がないから自分の出来る範囲で頑張ればいい」この言葉で、常に100%を目指してすり減っていた自分は救われました。

 

ある日別の先輩が帰ろうとして最後の一人になろうとしていた時、今まで睡眠時間が全くない状態で精神的に追い込まれていた状態でふとこの言葉を思い出し突然涙が止まらなくなりました。

 

もう追い込まれすぎてほんの些細なやさしい言葉で感情が揺れ動いてしまい感情の調整が上手く働かなくなってしまいました。その時、なんでこんなにおかしくなるなるまで働いてるの?と思って転職を決意しました。

 

そして現在

ブラック企業を退社して会社に勤めない生き方が出来ないか探している最中です。

正直一年後には道端で野たれ死んでいても可笑しくない状況ですが、もし自分が成功出来たのなら同じブラック企業で働いている境遇の人達の希望となりたい。

自分と同じ境遇の人達を救ってあげたい。

そんな思いからこれからもしぶとく生き延びようと思いました。